「温泉峡に立つ白亜の洋館」
「白雲楼ホテル」
画像引用元:http://discoverjunk.web.fc2.com/haikyotop/hakuunrou/Pamphlet/index.htm
かつて石川県金沢市の湯桶温泉に、白い壁に赤いスペイン瓦のスパニッシュコロニアル様式に彩られた美しい建物を擁する「白雲楼ホテル」が存在していました。残された写真では内部は木のぬくもりと白壁の対比が美しい北欧風ハーフティンバー様式で彩られており、南欧建築と北欧建築が見事な調和をみせていました。
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白雲楼ホテルは衆議院議員でもあった実業家桜井兵五郎によって1932年(昭和7年)に創業され、かつては「東洋一のホテル」と称されていました。本館の竣工年は1937年(昭和12年)や1940年(昭和15年)など諸説ありますが、今となってははっきりとは分かっていないようです。昭和天皇皇后両陛下が食事をされたネオ・クラシック様式の貴賓室、漆塗りの絵が描かれた折り上げ天井と豪華な金箔襖絵の300畳大広間、マホガニーが美しい調度品など、宿泊客の非日常を演出する贅を尽くした内装がしつらえられていたそうです。
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「万里荘」と名付けられた本館は鉄筋コンクリート造の5階建てですが小高い山の斜面に沿うように客室棟が建てられており、玄関はその頂上に和風の意匠をまとう貴賓館「長風閣」と隣り合うかたちで建てられていました。訪れた宿泊客はチェックインのあと、階下の客室へと案内される少し変わった構造だったようです。そのため玄関部分のみまるで独立した棟のように山頂に存在していました。その玄関部分はこちらも全体は赤いスペイン瓦のスパニッシュコロニアル様式ですが、車寄せは妻飾りに懸魚を持つ神社のような切妻屋根の帝冠様式で、ここでは和洋折衷が図られています。全体は左右非対称でアーチ窓を持つ異国情緒あふれるデザインでした。
「失われた美しい建築」
画像引用元:http://discoverjunk.web.fc2.com/haikyotop/hakuunrou/2006hakuunrou/index.htm
白雲楼ホテルの建築群はその後金沢市の登録有形文化財となりましたが、1998年(平成10年)に営業を停止し翌年に倒産。倒産後は所有者が変わるも建物はそのまま廃墟となり、登録有形文化財も指定解除。その美しさから多くの廃墟マニアに注目されましたが雪による倒壊や放火事件をきっかけに2006年(平成18年)解体されました。
「幻のフランク・ロイド・ライト作品か」
画像引用元:http://discoverjunk.web.fc2.com/haikyotop/hakuunrou/Pamphlet/index.htm
白雲楼ホテルが当時出していたパンフレットには「フランク・ロイド・ライト設計の異国風玄関」との記載がありました。山の斜面を利用した構造には「旧山邑家別邸」を感じさせなくもないですし、高さを抑え車寄せのひさしを深くしたスタイルはライトの意匠を想起させます。
ただ長い間疑問に思っていたことがありました。ホテル発行のパンフレットには玄関棟のみ設計者が明記されているのですが、ウィキペディアでは「〜設計だったという」とやや後退、他の記述でも「〜設計だともうわさされる」「〜設計といわれており」と、まるで江戸時代伝説の彫刻職人「左甚五郎」のような扱いが散見されました。ライトの設計作品としては白雲楼ホテル玄関はリストに上がっておらず「幻のライト作品」は謎が深まるばかりです。
そんな中、ある廃墟を扱ったサイトに「設計・中村一秀(大林組)」との記述があり、これを手がかりに調べていくと、大林組の歴史がつづられていたサイトの昭和7年ころのページで大林組本店工作所本店設計部に中村一秀氏が在籍していた記述がありました。また桜井兵五郎のご子息が倒産後の白雲楼ホテルについて書かれたブログでは「大林組との正式な契約書、図面は破棄したとして残していなかった」との記載があり、大林組が建設に関与していた可能性は高いと思われます。
ライトは1922年(大正11年)を最後に日本を訪れた記録はなく、ホテルが竣工した前後の日本は軍靴の足音が近づき来日したチャップリンですら暗殺計画があった不安定な政情だったので、恐らく来日はしていないと考えられます。また日本でライト作品を完成させるため不可欠な遠藤新と南信、林愛作の記録が見当たらないのも気になるところです。
ただ大林組は1930年(昭和5年)竣工のライト式建築「甲子園ホテル」で遠藤新とタッグを組み美しい建築を成功させているので「どちらとも言えない」が現在の結論でしょうか。たとえライト作ではなかったとしても、残された写真からとても美しい建物であったことに変わりはありません。
(文中敬称略しています)
- 白雲楼ホテル本館玄関
(現存していません)
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